五年前の今日のこと 〜今野の場合〜

梅田さんのエントリーに触発されて、5年前のその日を振り返ってみた。



その日は家内の悲鳴で飛び起きた。7時過ぎだったと思う。



当時、わが家と紛争状態にあったアリ軍がとうとう大量発生し、キッチンにおいてあったシリアルの箱にびっしりと列を作っていた。幅は3cmを超える大行列がドアからキッチンまで延びている。応急措置としてまずはアリ軍の全滅及び進入経路にこれでもかと専用スプレーをかけておいた。(その日は万の単位でアリの命を奪ったと思われる)


そんな事を夫婦二人でやっていたので、TVをつける余裕もなく大事件が起きているとはつゆともしらず、いつもどおり出勤。できたばかりのNVIDIA新社屋にいつものようにでかけた。


9時過ぎに到着したが、周りにだれもいない。。。「あれ?今日は祝日だったかな?」ととぼけた事を思いながらいつものようにPCを立ち上げてMailを開くと High PriorityメールがVPから来ていた。

今日の惨劇で近親者に影響がある可能性もある人もいるだろうし、状況的に仕事ができる精神状態でない人もいるだろう。今日はオフィスに来る必要はありません。

とかいう内容だったと記憶している。


そこでWebで状況確認しはじめたところから、家内から電話がかかってきた。「大変なことになっているよっ!!」 私はそこでようやく状況が飲み込めてきた。

たいへんなことになっている!!

と把握したところで、何をしたら良いのか頭に浮かばない。よくはわからないがまずは、メールの処理をいつもどおりに始めて、ある重大な事に気がついた。

そうだ、今日はSONYのI氏が日本から到着するんだった!!

次期製品モデルが差し迫っていた当時、急遽(確か出発前日に出張が決まった)VAIOチームの切込み隊長 I氏がサンフランシスコ空港に今日の午前中に到着する予定だった。


私が知っていた情報は”その日にサンフランシスコに到着する”という事だけ。便名も何もわからないので、とりあえずサンフランシスコ空港情報などを集め始める。。。が、全米の空港はすべて閉鎖されたという情報がわかったが、それだけだった。


SONYのUSチームに連絡をとろうとしたが連絡がとれず、しかたがなくSONY日本に連絡を取ることとした。しかしその時は日本は朝の2時頃。祈る思いで知っている限りのメールアドレスを入れて送信。するとすぐにI氏の上長であるM氏から連絡を頂くことができた!!(この時はじめてM氏と会話をした)


便名などがわかったので再度航空会社など関係機関に確認をすると、サンフランシスコ行きはすべてアンカレッジに向かっているという話であった。とりあえず飛行機は存在していて”いまのところ”ハイジャックされてはいないらしい程度の情報が得られた。


事の次第をM氏等にメール連絡をして、、、それ以上何もできる事がなくなってしまったので通常業務に戻った。


そして数時間後。。。。なんとI氏から電話連絡をもらった。

I氏 「実はさきほどサンフランシスコ空港に到着しまして、、、、ご心配かけました!」

私  「え?!ついたんですか?大丈夫だったのですか?」

I氏 「私もまだ状況把握できていないのですが、テロがあったらしいですね…乗客にはまったく連絡されず、しばらくサンフランシスコ上空で数時間旋回して、さきほど着陸しました!!」


その夜I氏とI氏を迎えに行ったSONY USの方々と共に夕食にでかけ話をきいてみると、どうやら定刻よりも早くサンフランシスコ空港近くについていた為に、運良くサンフランシスコ空港に降り立つ事ができたのだろうということ。兎にも角にも無事の帰還を祝った。



今思うと、この事件をきっかけにSONY開発陣の方々と親近感を持つことができた気がする。結果、本当に24時間戦える男、M氏(SONYがつくった最高峰ロボはAIBOではなく彼であるという噂があるほど^^)から毎日お電話を頂けるようにまでなってしまったなったりもした。また子供の頃からの根っからのアンチSONYであった私が、数あるお客様の中でもSONY VAIOチームは特に戦友と感じれるようにまでなれた。(そしてうちのリビングにはSONY製品が溢れるようになった)





そういや忘れていたけど、その後テロ騒ぎが結構あって、NVIDIAの社屋にも爆弾を仕掛けたという通告があり警察がきて全員社屋から非難させられた事とかあったな。。。ふと思い出した。


喉元過ぎれば。か、、、、ついでに思い出したのが、10年前の阪神・淡路大震災。当時は学生で大阪にいて、研究室で数人の友人とうつらうつらしていた時に地震が来た。ラジオから流れる死傷者数の数が膨れ上がるにつれて、事の重大さに怖さを感じた。そして翌日連絡がとれない友人を神戸まで探しにいったっけ。倒れた湾岸43号線。軒並み倒れた家屋。霊安室になった小学校の教室。火事が目の前まで来ているけど逃げる気力を失ったオジサン。おにぎりを法外な値段で売るオバハン。。。あの時の記憶は映画のワンシーンみたいだけど、鮮明に思い出せる。だけどこんな機会でないともう思い出しもしなくなってしまった。。。それが良いのか悪いのか、とにかく今日も懸命に生きていこう。