日本という国ではイノベーティブな発想は産み難いのか?

junkonno2006-03-17



車での生活が中心であった米国生活と、電車などで不特定多数の見知らぬ人と接しながらの日本の生活を比較して、日本での生活では根本的にあらたなものを産み出すというイノベーティブな発想が難しい環境なのではないかと思い始めました。


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点から点に移動できて、その間は一人になれる車中心の生活の場合だと不便を感じるのはちょっとしたアクシデントにあった時。ガレージが壊れたり、配線工事をしてもらうときなど、家でサービス提供者を待たなければならないケースなど。そうなると担当者の人柄などにずいぶんとサービスの品質が左右される。(アメリカだと、指定した時間を大幅に遅れるなどは日常茶飯事)


こういった場合、考えてしまうのは担当者にかかわらずシステム全体を変更して、いかようにも対応できるような仕組みについて自然と考えてしまう。


このような発想になることが日本での生活だと極端に少ないような気がするのです。



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日本での生活で思うことは、ものすごくサービス提供者の意識レベルが高いのでサービスの品質が非常に高い。その分その提供者のストレスが溜まりやすい状況になっているのだと思うのです。となると発想としては、サービス提供者がよりサービスをやりやすい”ちょっとした”変更であったり、溜まったストレスを解消させるためのサービス提供であったりしがちになる。。。これだと”システム全体を根本解決させるという発想にはなりずらい”→”イノベーティブな発想を考える機会が少ない”という環境なのかなと。


満員電車で足を踏まれて笑顔をつくりつつ、そんなことを考えていました。