五日目 5月31日 木曜日


母→父→妻と、一通り内観をした後、再度母に対する自分を調べることになった。今までになく真剣に内観するようになり、一回目には思い出せなかった事が次々とよみがえってくる。そういえばアトピー皮膚炎だった私の為に肌にやさしいジャージを母が用意してくれたけど、微妙に色が違うので嫌な思いをしたなぁとか。


そんな細々とした具体例が蓄積されてくると不思議なことに自分の短所が見えてくる。

  1. 辛抱強く目の前の問題に取り組まず、できる振り・できた振りをして先へ先へと急いで結果のみに執着する
  2. 見栄っ張りで他人からの目を気にする


自分の子供の長所・短所は良く見える。母の目線できちんと内観することができれば同様に自分の長所・短所というものが客観的に見えてくるということなのであろうか。


ただし未だ懺悔には到達できない。むしろ懺悔に対して嫌悪感すら持っている。母がしてくれた事は非常にありがたいが、親として当然とも思えてしまう。感謝はすれど申し訳ないとは思えないので当然に懺悔にはつながらないのだ。ちなみに私は2児の父だ。したがって親が子を思う気持ちは理解しているつもり。それがむしろ自分の気持ちを後押ししてくれる。


という気持ちを正直に相談してみた。すると、、、

その様な考えは雑念です。集中できていない証拠ですね。あなたとあなとのお子さんについてはこの場合関係はないのです。あなたとあなたの母親との事だけに集中してください


とのことお言葉。むむむ、、なるほど知らず知らずのうちに親から受けた恩を子供に転じ、親孝行を怠る理由付けに使っていたのかもしれない。


そして心を素直にしてさらに深く集中して内観できるようになる。


結果、心の底から深く深く感謝をする気持ちになれるようになった。反省し感謝し様々なことを見つめ直すと不思議なことに胃の痛みがどんどんと引いて行く。実は元々痛みは感じていなかったのだが、痛みがなくなった後に実は今まで痛みがあったのだと気付く。体が開放されていくような感覚だ。


すると私なりに真理のようなものが自然と湧き出てくる。

  • 他人に優しくする事は、自分に優しくする事だ
  • 他人をごまかそうとすると、自分の心をごまかす事になり結果他人よりも自分自身を苦しめる。

今まで言葉で聞いたことがあるようなものばかり。ただ自分の思いとしてこの言葉ができたときにはじめて、言葉の意味を頭だけで理解するのでなく心で理解する事ができた。


今まではこの手の言葉を聞いても結局「他人のために善人になれ!」と言われているように思っていたが、そうではく自分の為だったのだなぁと気付くことができた。自分の為と理解できれば喜んでできる。


人間の弱さというのも理解できた。どんなに聖人君子であろうが、徳の高い坊さんだろうが憎しみや醜い心を完全に消し去ることはできない。人には善と悪が常に同居しているのだ。そしてちょっとした不幸な偶然が人を鬼に変えてしまうことがあるが、その鬼を追い払うことができるものは他人の優しさ・慈悲の心なのだ。



この日はとても実りのある一日となった。昨日と比べると夢のよいうな進歩を遂げたような気分になっている。今すぐに帰宅しても胸を張って内観習得したぞ!という気持ちになっていた。なんだが”御仏の心に触れる”とはこのことかと思ったものだ。


だがそう甘いものではないとすぐに思い知らされる。


夕方、「母親に対する自分調べ」の2回目が終了した際に与えられた次のお題は「嘘と盗み」。 これを小学低学年から始めたのだが、なんとも手ごたえがない。なんだが一からやり直しのような気分になった。


「嘘と盗み」は自分が嘘をつくパターンを知るのが目的だそうだ。嘘で一番怖いのは自分自身で嘘をついている事に気付かない事だそうで、自分の嘘に気が付かず、自らの嘘による間違った判断の元に決断をしてしまう事があるのだという。そういう意味でも自分のつく嘘がどのようなものか知る事は大切な事なのだそうです。



ところで、またしても「懺悔」についてですが、この時にしてもまだ懺悔の気持ちはまったくなく、放送にある先輩内観テープを聴いても未だ違和感があった。私が大きな懺悔をせずにすむのは両親が正しい道へと導いてくれたおかげと考えていた。


そんな私が翌日、「嘘と盗み」について調べて行くことにより大きく変わっていったのである。