三日目 5月29日 火曜日


三日目の朝になると昔の記憶をたどるのがずいぶんと楽になってきた。ただし ”記憶を想い出す”=”内観” ではないので、思い出す行為で手一杯の自分に焦りを感じていた。今思うとその焦りの根源は「せっかく一週間も費やすのに何も会得できないで終わってしまうかもしれない」という浅ましい考えでもあったのだが。


この日は引き続き4:30PMぐらいまで父親に対する自分を調べていた。忘れていた記憶が次々に湧き出てくるようになる。父につれてもらった旅行がこれほどまでにあったのか、くだらない失敗談と共に思い出す。より具体的な話になればなるほど内観は深まるというので、極力その努力をした。


父に対する自分が一通り最後まで行った頃、なんだか内観が楽しく感じられた。初めての事である。なんだか父と対話をしているような気分になるのだ。父の目で私を見る。昔を思い出す。その行為を続けてくると自分自身が父親の人格になれるような状況になり、今の悩みなどを父に相談した場合の返事が的確に想像できる。


変な話、父が亡くなったとしても内観を通して父と相談する事ができそうだなと思った。



夕食前から妻に対する自分を調べる事になった。妻と出会った頃からなので比較的最近の記憶からのスタートになる。内観にも慣れてきたのですぐに妻の目線からの自分を見る事ができた。


そう、三日目の夜になってようやく手ごたえを感じ始めたのだ。放送などで再三「三日経たないと内観に集中できるようになるもんではない」と話があったが、ぎりぎりセーフだ。


ただし依然として、食事中に放送される諸先輩方のように人柄が変わるまでに懺悔ができるような自身がない。心境の変化としては、 ”アメリカ or 日本” という私の命題について、結論がでつつあった。日本に留まる気持ちになっていた。


それは親・周りの人々への感謝の気持ちがまず第一。そしてアメリカの良さというものは自分の心次第でどうとでもなるものであると思えるようになってきたからだ。 アメリカ(というかカリフォルニア、というかシリコンバレー)は本当に住み良い場所で、衣職住(食→職)がこんなにバランス取れてすばらしいところはないと思う。ただしその全てが即物的な見地から見てすばらしいとも言える、と考えるようになれたのだ。


私を育んでくれた町ではないし、我妻を育んでくれた町ではない。我々にとっての流れの本流がそこにはないなと気付いたのだ(7年間は住みはしたけど)。


ともあれ、まだまだ気持ちは揺らいでいた。今週が終わる頃には迷いは消えるのであろうか、まだまだ不安と焦りの中にいた。