二日目 5月28日 月曜日


集中内観の一日は規則正しい。5時に起床してすぐに自分の部屋と担当場所(私は風呂場)の清掃にかかる。清掃時間は45分ぐらいかかる。最初は適当にやっていたので30分もかからなかったが、そのうち身を入れてやるようになるので自然と時間がかかるようになる。


清掃後はすぐに内観を始める。朝食前に第一次面接があるのだ。ここの研修所では一日8回の面接をして頂いた。おおよそ下記のようなスケジュールとなる。

5:00AM 起床
     洗顔
     掃除
5:45AM 内観スタート
6:50AM 第1回面接
7:10AM 朝食
10:00AM 第2回面接
11:20AM 第3回面接
12:30PM 第4回面接
12:45PM 昼食
2:30PM  第5回面接<30分間風呂>
4:45PM  第6回面接
6:00PM  第7回面接
6:15PM  夕食
8:30PM  第8回面接
9:00PM 就寝

この日は母に対する自分についてを現在まで調べ、その後は小学校に戻り父に対する自分を調べた。ポイントは母に対する自分を調べる際に、母の目線で自分自身を見ること。例えば私が小学1年生の時は母は35歳、今の自分と同じ年なんだなぁとか考えてみる。であればその年の人間が考える事や当時の状況から経済状態などがリアルに感じられる。そこで小学1年生の自分の出来事をひとつひとつ思い出していき、母がどのような思いでそれを行ったのか、私の言葉をどう捕らえたのかなどを調べて行くのだ。


なかなか内観に集中することは難しい。正直居眠りを毎回しているような始末であった。ただしTVも携帯も外部との接触を一切ない場所で懸命にこれをやっているとなんとなく内観で何をしようとしているのか、ぼんやり見えてきた。


また、食事の最中に放送が行われる。以前の先輩方の内観問答などを放送してくれるため、内観というものがどういったものなのかを理解する良い手助けになるし、どういった内容を調べればよいのか参考になる。


しかし私はその放送に大きな違和感を感じた。皆一様に自分を必要以上に責め懺悔をするのだ。私からすれば自分に非がないような事に対してまで自分が悪かったと懺悔をするのだ。それがどうも違和感を感じた。この違和感は最後の最後まで私の内観に対するテーマとなったのだ。


この日はその違和感を抱きつつも、そこまで達しなければ内観の本質を見極められないのではないかという直感から、そこまで感情を動かしてしまうことに恐怖心を感じ、不安になった。当時の私は日記にこう記していた。

「正直、そこまでの感情の動きを嫌っている自分がいる。そこまで行きたくないし、あるいは到達できないのではないかと不安になる。なんだか胸におもしがあるような気がする。面倒臭くて立ち上がりたくないような、そんな感情にも似ている。」


この日は悶々としながらも9PMの就寝時間直後に寝入った。日中、居眠りを散々したにもかかわらず。