親が子を叱るとき


「お前!」と連呼する母親と泣きながらすがりつく5歳児ほどの男の子に出会った。


時折いたたまれない気持ちにさせる親を公の場で目にする時があるが、今回は本当に一声かけようか悩みに悩んだ。

母「お前、いいかげんにしろよ、そんなこと言うならもう知らない」
子「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
母「ああ、もういいよ。もう行かない。帰る。」
子「やだーーーー やだーーーー やだーーーー お願い! お願い!」
母「お前、もう、 いや、 うるさい! お前、もう だまれ!」
子「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…」
母「お前なぁうるせんだよ。ほんと。あたまきたから 今日ご飯なしな」
子「…」 (無言でむせび泣くのみ)

本当に見ているだけでつらい。


何があったのか皆目検討がつかない。母親も一生懸命なのはわかる。子育てが大変なのもわかる。まだ若いのに化粧っけもないその容姿から一生懸命に生き抜いているんだろうと想像ができる。それだけに上手い言葉はないものか…と思案しているうちに声をかけるタイミングを失ってしまった。


最初に頭に浮かんだ言葉は、

あなたが好意を抱いている方が隣にいたとしても、変わらず今のようにお子さんに接しますか?

というものだったが、すぐに躊躇(ちゅうちょ)した。


”あなたが好意を抱いている方”というのが回りくどい上に、「別に亭主の前でもこんなかんじだけど、ところであんた誰?」というカウンターでKOされそうだったから。


そこで、
”あなたが尊敬している人”
”あなたの親御さん”
”死んだばーちゃん”
江原啓之(スピリチュアル・カウンセラー)” (違うっw)

とぐるぐる考えをめぐらせていて、 

神様が隣にいたとしても、変わらず今のようにお子さんに接しますか?

が一番いいんだなぁ。と結論づいた。


とその瞬間、「俺はどこの宗派の勧誘員?」という疑問が浮かんで自分自身でTKO。ここで完全に声をかけるタイミングを失ってしまった。



もやもやした気持ちで、「神様=良心」と代数してあげると聖書とかって宗教の垢をとった真理がみえてくるのかなぁ、と一人自分で妙な納得をしながら帰路についた。


題名とオチがつながらない今回のエントリーとおなじように、結局声をかける機会を失ったもやもやした気持ちの中、自分自身子供を叱るときは”自分の中の良心”が隣で見ていても誰が隣にいても変わらない叱り方をしようと心に誓って自分を慰めた。