情報に対する意識の違いに面食らう


1994年私が新卒入社したころ、社内でメールアドレスを持っていたのは一部だった。電子メールは”電子手紙”という意識が強い年配層も多く、”拝啓、貴社益々ご清祥の…”ではじまる内容も散見していた。そんな時代だった。


56kモデムを利用したパソコン通信インフラがベースであったため、メールの内容は簡潔に必要最低限にしぼることが美徳とされていた。そういった通信環境の問題もあり送信相手は必要な人だけに必要な情報だけを送るべし、という暗黙のルールが存在していた。


劣悪な通信環境から現在のブロードバンド時代においてもこの文化は現存している。


前職の会社では社長宛てのメールは3行以内でないと怒られた。(もちろん毎回それだけですべての説明ができるわけではないので要約を3行でまとめ、補足として詳細内容を箇条書きにするという方法を大抵の場合つかうのだが…) 忙しい受信者の為に効率よく情報処理をしてもらうため、送信者側が工夫を凝らす必要があった。またCCに入れる相手も非常に気を使う。こういった類の暗黙のルールで仕事をされている方が未だ一般的だと思う。


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うちの若い社員はやたらとメーリングリストを多用する。私からすると個人の間で処理をすべき内容でも全員の目にさらす。少しでも関連のある内容については参考程度にどうぞ、、、的なものだろう。このあたりの感覚はずいぶんと違いがあるなと感じる事が多い。社内Wikiや社内Blogの利用の仕方・頻度などをみていても感じる。あまりにもあっけらかんとしていて面食らってしまうことがある。


自分の処理能力を圧倒的に上回る情報が存在するのが当たり前の世界で育った彼らには”情報を持つ”という価値は情報に渇望していた私の世代と比べ、きっと無に等しいぐらい低いのであろう。


この違いは大きいよなぁ。。。たかだか10歳離れているだけなのに、、、orz


Googleはメールの内容をすべて共有できる仕組みがあるーーー とかいう記事をどこかで見た記憶があるけど、さすがですね。


さらに10年ぐらいたつとどうなるのかなーとか思ってしまいます。すべてが共有される世界になるとは思えない。すべてを共有して、すごいツールがあればそれでパラダイスなどとも思えない。あるていど便利になった上であとは人間の処理能力に合わせて、おちつくとこにおちつくんだろうなと思うわけですが、どのあたりがおちつきポイントなのかは微妙ですね。人間の進化スピードとかわけわかんない世界へ頭が暴走ぎみになってきたので、とりあえず今日はここらで。