資源大国日本

junkonno2005-09-26


久しぶりに日本に行ってきた。急遽決まった出張にて実質3日間だけの短い滞在だったのですが久しぶりに単独行動(娘の子守をしないですむ)のできる日本滞在であったので色々と楽しめました。そして日本という国の側面を新たに見つけた気がします。


しみじみと感じたのは「この国は人でできているのだな」ということ。以前のエントリーでメキシコのリゾート地で感じた”人力によるハイクォリティー・サービス”は労働力の安い国だからこそできる、というような論点で考えてました。しかし労働力の高いはずの東京も同じようにして人力による高クォリティー・サービスで成り立っているのだなと。


この狭い場所に多くの人が密集して生活をしていく為には潤滑油的な人力サービスがそこかしこに必要で、結果人力による品質の高いサービスだからこそなんとかバランスを保ちながら肥大化してきたのだなと。。。


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新宿駅前に行くとティッシュやらビラなどを配布する人力マーティング法が未だに存在していて、ティッシュであればまぁ配りやすいのでしょうが、ビラになると難易度はぐっと高くなるようです。どうやら”その道のプロ”みたいのが存在する領域な感じすらします。


たまたま遭遇したその”プロ”は常に横ステップを繰り返して低い姿勢から頭を垂れたまま動く。そして珍妙な甲高い声で「よろしく おねがいっ しっま〜〜すっ!」と一人一人にこれ以上ないまでの卑屈度でビラを渡す。見事なまでに奇妙、劇団の下っ端が罰ゲームでやらされてもここまではできないでしょう。


その奇妙さのあまり大きく避けて過ぎ去る人もいるけど、成功率はほかのビラ配りよりも圧倒的に高い。「そこまでやるのなら貰うぐらい貰ってやる」という哀れみの心理をうまく利用しているとみた。


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果たしてこの人の報酬はいくらぐらいなのだろうか?残念ながら根性なしの私は声をかけて聞くことができなかったが、恐らくそう高いものではあるまい。時給で言えば1000円ももらえないのではないかと。


そう思いながら道を歩くと人力による高クオリティー・サービスが当たり前のようにあふれている事にきづきました。各種清掃業者や窓ガラスを拭く業者。特急電車だけであろうがワゴンのお茶販売の女の子。ヨドバシカメラの尋常ならざる数の説明・販売促進員(デジカメのコーナーだけで8人はいたぞ。。。おそるべし)


この高いクオリティーが文化をつくり、街の価値を高めていくのであろうが何事にも限界があるわけで、この場合一番大きい要因は密集度だと思うのです。より高いクオリティーを街が要求すれば人を増やすのがてっとりばやい。その土地でまかなえなければ高速な交通手段を作るか空に向かって土地を増やすかになる。問題はそのコストと人力によるメリットのバランス。

さらにはテクノロジーの発達によって人力サービス市場そのものを奪い去る事になってしまう事も頻繁におこるのでしょう。


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しかし本当にテクノロジーは人力によるクオリティーが出せるのかと言われれば絶対にNOだ。あのビラ配りのプロに匹敵する自動配布方法は、完璧なアンドロイドが作り上げられたとしても無理であろう。ただあのビラ配りのプロよりも効率的に広告することはできる。となるといずれあのプロ達は近い将来いなくなるのであろうか。。。さみしい気がするなぁ。


こんな感じで人力サービスがなくなっていくとなんとなくその街自信の魅力が薄れるわけで、それは最終的にその街が持つ価値自信を損なわせるわけで、これが日本全体におけるトレンドとなっているのであれば大問題なのだろうなと。また物的資源の乏しいこの国が経済大国となれたのは人的資源が豊富である為であろうと思うのですが、その資源の品質が怪しい・まずいぞと各種メディアが連呼しているように見えます。これもまた大問題だなと。。。そんな事を考えさせられた新宿の夜でした。